« 秋のはなまつり レポート2 | トップページ | 10月のオープン教室案内できました。 »

2008年9月28日 (日)

「生の間」展 心の決意

Photo

いよいよ「生の間」展まで残りわずかとなってきました。
この2ヶ月間、日々感じたことをメモに残し、
SOSO(ピアニストの重松壮一郎さん)とジュンコさん(現代美術家)の二人と
分かち合ってきました。

この生の間展は作品を完成させることが目的ではなく、
これからもそれぞれがそれぞれの表現を
私自身と向き合って生きていくために、
そこから得たものを学びに、
出会った痛みや喜びをしっかりかみ締めるために、
逃げ出さないように助け合いながら、
この生きている今、一瞬の時を空間を、
創りだそうとしています。

私の作業はまず、イメージを持たないこと。
私の傷について書き出すこと。
私と花の関わりを見つめること。
そんな心の動きを二人の表現者とやりとりをしながら、
たくさんのコミュニケーションが生まれました。

作品の一部(心の作品)を紹介します。

P1010164

舞ちゃん、美しい本をありがとう。(ヘルマンヘッセ・メルヒェン)
いままだすべてを読み終えてはいないけど、
本が苦手な僕だけど、1つ1つ感動しながら、読んでるよ。
一番最初のは、彼と自分がとても重なり、
いまの自分にとって、とても戒めになりました。

僕がこうした活動をしていると、

たくさんお客さんに来てもらいたい
いいコンサートがしたい
いい演奏がしたい
来てもらったお客さんに満足してもらいたい
自分の音楽を気に入ってもらいたい
CDを買ってもらいたい
また来たいと思ってもらいたい
演奏依頼してもらいたい
助けてもらいたい
宣伝を手伝ってもらいたい
たくさんギャラ貰いたい
....など、
欲望・願望で、心も頭がいっぱいになります。
それは、ヘッセの言うところの、
愛されることばかり求め、愛することを忘れる....ことに他ならないかもしれません。

このあいだのライブの後、RYOSAIさんが
彼が、一番大切なのは「ありがたみ」を感じて演奏することだ、何度も言っていました。
こうして音楽活動をしていると、いろんな人に出会う。
でも、純粋に音楽のことだけを考えて演奏している音楽家だけではなく、
お金のためにやる人、名声を得るためにやる人、売り込むことばかりに躍起な人にもたくさん出会う。そんな輩は、自分は好かない。とても不自然で、そういう人の音楽も好きになれない、と言っていました。

なんだかその言葉も、今の自分にはずしっとくる言葉でした。
ステージにあがるとき、いつも、すべてに対する「ありがたみ」を持っているつもりでも、
「ああ、今日はいい演奏できるだろうか。お客さんは喜んでくれるだろうか」という意識のほうが強くなってしまうこともある。
そんなとき、「ありがたみ」は心の隅に追いやってしまってるかもしれない。

僕の心が濁っている時には、天使の音楽も聴こえてこない。
僕はこうして、僕のなかに聴こえてくる音を、ピアノで紡いでいかねばならないのだから、
僕はいつでも、天使の音楽が聴こえるように、心を美しくしていなければいけない。

P1010037 

SOSO

まだ体の調子がうまくつかめてなくて、下半身が弱いとやはり弱気になるのか、表現することが本当に自分勝手に思えて心が震えるよ。
昨夜はひとり、道向こうの川の所で寝っころがって、星と月を長いこと見ていたけれど、表現することの意味がまたわからなくなってきた。
生きるも死ぬも切るも切らないも同じに感じてきて。元気がいいときは陰を増やせるけれど、元気がないときは、陽が多いほうがいい。花は陰なんだと思う。だから元気がないときは、花よりも自分の方が陰で救われるときがある。元気がある陽のときは陰でトーンを下げられたりする。
陰の表現が多いというところが作品に出てくることがこの上なく今日のMaiには必要だとすると花が多いほうがいい。それもコスモスみたいな花。それにしても表現することは個人的なことだね。今日は花に救われたい。

今日は、人のあたたかさや、存在を感じて花を手にしました。
花の生よりも自我の想像が先にたつ、このことが表現をする私の悲しみ、そして苦しみで作品が作れるかな。
誰かのためとか、目的が明確であれば、迷わない。だけど、個人的な想像のために表現すると思うと苦しくなる。

陰陽のバランスといえど、空っぽの私に何ができよう、何の権利があって表現ができよう、ごめんね、今日は胸がいたい。ごめん。どうすることが自然なのか、私の中の自然は何なのか、体と心を自然にまかせるってどうするのか、わからない。

生とか死とかをこの虚無感で表現できるのか、
死を想像することができるのか、と自問される。
生を語る資格があるのかとさえ思う。
ごめんね、SOSO、一生懸命自分と向き合っているけれど、
その先に何もない気がして途方にくれている。

Mai

P1010027

舞ちゃん、

こんばんは。
今日はのりへいくんと共演のライブだったよ。
いま美呆展を都内でやってるよ。
のりへいくんは「食と命」をテーマに、今月10回以上の朗読会を開き、
伝えてまわってる。
他の命を奪って食べる、生きるということについて、
現代の畜産の現状や、食肉について、語ってまわってる。
彼もまた、命と、生と死と、自分の仕事に正面から立ち向かってる。


僕たちは、生きるために
食事をする。
他の生きものの命を奪い、
体内にとりこむ。
他の命をとりこむ。
生命のエネルギーをとりこむ。

だから手を合わせ、
「いただきます」と頭を下げ、
謙虚な気持ちで、
他の命をいただく。

それは、
無下に命を奪うこととは違う。
一時の楽しみや、
グルメや、
虚栄心なんかのために、
食い散らかすのとは違う。

生きるための純粋な行為な気がする。


僕もただ生きるために、ピアノを弾きたい。

何も罪のない木が、切られ、ピアノになってしまった。

だから、
遊びや
虚栄心や
美しさの追求
なんかのためじゃなく、

自分が生きるために
ピアノを弾く。

生きるための純粋な行為として、ピアノを弾く。

そのかわり、
祈りをささげ、
命に報いよう。

そして僕は、
みんなを生かすために弾き、
みんなにそれを伝えるために弾く。

soso

P1010099

SOSO
体と心が一つであるっていうことが、よくわかる。
心震えると、体がいたくなる。
でも、この体が痛くなることくらいを
知らずしては傷とは向き合えんのかもしれん。
だから、等しい傷みだと思うんだ。

いろんなことへの生存問題だと思うし、
私自身の問題なんだ。花との関わりを失うかもしれない。
そこに、自分の矛盾とこれからがあるから。
とても責任があると思えて、
発する言葉がいろんな生存問題へとつながってしまう。

音は消えるかもしれない、だけど芽生えた問いかけは
苦しめるかもしれない。私にはこうして分かち合う友がいる。
でももし、その友や家族、愛されるものがなければ、愛するものがなければ
問いかけは、海へ突き落としてしまうかもしれない。
そんな答えを私の芸術から探していない。この芽生えた問いかけに対し、
花を手に、その人の手を握りたいと思う。

私は花を切るときの痛みをそういった、
人への寄り添いや手向けにかえている。
花はそれでも生きる。人への寄り添いができるのであれば。
生きて、とともに願うと思う。
このことを信ずることをやめるとき、私は生存しないかもしれない。

昨晩夜中に目が覚めてそれが、
暗い海の遠くに月がうっすら海面を照らすほど、
とにかく水も暗い輝きに、生きて。って
言葉だけが水面から空中に浮いていた。
私の中から起きたものか、
わからない。ただ、ただこの生きて。って言葉が
はっきりと届けられた。
このことを、少し材料にしたいと思うと
眠れなくなった。

自然はただそこに在る。
音もそうだと思う。
そこにいる私がその自然をなぜ手にするのか、
SOSOがその音を手にするのはなぜか、
形にしようとするその姿にたいし、同じものを手にした喜びが
美しいということかもしれない。

昨日の朝は植物の移植を行いました。
木や株を堀上ながら、大丈夫だよ~あっちに引っ越すだけからね~
大丈夫だよ~と話しながらやったよ。木を剪定しながら、
虫を掘り起こしながら、大丈夫、大丈夫、って。
そこにあるのは、私が主体の勝手な言葉、でも作業なれしていって、
このことを忘れないために。

あ~難しいことばかりでごめんなさい。
今回は生の間が終わるまでは、Maiはいろんな意味で
いつもと違う。そのくらいでないと、申し訳ない。

ではまたね。いつも答えをありがとう。
無理しないでね。

Mai

P1010121

SOSO
おはよう。SOSOの言葉、心開かれ入ってきた。
入ってきて私の中で調和された。ありがとう。
花と私の関係は生きている。
私は生きている上で世界のどこへ行っても植物と存在する。
だから、失うことを恐れる。
恐れは私の中にある。
この恐れを受け入れたい。

SOSOはピアノで生かされている。
Maiは花で生かされている。
みんな何かに生かされている。
花からの祈りに、
そのことを受け入れ伝えることを捧げたい。

Mai

こんにちは。
舞ちゃんよかった。
複雑に考えちゃってこんがらがっちゃうときは、
ただシンプルに、生きるために必要なんだと、
だって生かされてるんだからって考えるといいのかもしれないね。
生きるための純粋な行為は、美しい。

SOSO

080608_03

この2ヶ月、とても素晴らしい出会いがありました。
私の中で眠っていた傷と向き合えた今、
花と生きていきたい。と思いは確かなものになりました。
このことを忘れないために、1冊のノートを作ろう。

表現することは個人的なことだけど、
響き合う仲間がいて、さらに喜びは広がる。
コミュニケーションは生きていくうえで、本当に本当に大事だと思う。
コミュニケーションは愛であり、祈りだね。

SOSO、ジュンコさんと三位一体になれることは
心から、生きている喜びです。ありがとう。
来週、楽しみにしています。

「生の間」 ありがとう。

Photo_2



|

« 秋のはなまつり レポート2 | トップページ | 10月のオープン教室案内できました。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 秋のはなまつり レポート2 | トップページ | 10月のオープン教室案内できました。 »